2012年 02月 03日
“OYAJIたち”の二次会は・・?~ やっぱす“モリオカSOUL”だべ! 「JODY」de“ビタミン補給” 編
節分
「鬼は~外 福は~内」
旧年の罪、穢れを払い新しい年を迎えましょう!
今回は、去る1月21日に久しぶりに集まった高校の“プチ同期会”のその“二次会”の模様を恥ず
かしげもなくお送りしたいと思います。(そったなの見たぐね!という方はスルーしてくださいね)
頭脳と肉体は衰えても、若かりし頃の“熱いハート”はまだまだ健在だと思っている“OYAJI&昔
はギャル”たちが何もかも忘れて“不良になれる空間”、それが“モリオカSOUL”~「JODY」です。
我々の同期会の二次会ならキャバクラでもスナックでもなく、その場に居合わせた“昔はギャル
たち”と盛り上がるのが丁度いいところですよ。(昔美男美女笑)
案の定、この日も待っていましたとばかりに“OYAJIたち”を盛り上げさせてくれました。
OYAJIたちの“モリオカSOUL”
ア~~~アアアア~~
“シュワッチ”
ア~~~アアアア~~
“シュワッチ”
イントロが始まったとた
んYが「うっわぁ懐かし
なぁ~なんだっけアー
スウィンド&ファイヤー
だっけか?スタイリス
ティックスだっけか?」
で私「バ~ガ違うべじぇ
“マッコイターナー”だ
べ!」(・・?・・?)
~~ダンドンドン
「Do The Hustle」 これですよこれ!ディスコ全盛期の大ヒット曲!ちょう懐かしいでしょ!
いやはや困ったもんですねぇ、50も過ぎるとこんなトンチンカンな会話が当たり前のようになって
きます。(笑汗汗)
頭の中では分かっているのですが、とっさに正確な単語が出てこない。ヤバイっす!
しっかしKちゃん!東京
からよく来たねこんな
“ただの飲み会”にさ!
(冗笑)高校時代は私
より身長が20cmくらい
低かったんだけど、あ
れから大人になったん
だね同じ位だもんねぇ。
今宵は楽しかったねぇ
「50過ぎてるわりにお
腹出てないじゃん」と
“昔はギャルたち”に踊
らされてパンツまでは
脱がなかったけど“裸”
になって踊ってたよね。
まあ東京からわざわざ来た甲斐があったってもんだよ!
記憶をなくすくらい~路上で泥酔するくらい~飲めるのは故郷だからさ!まだやるべし!
“キッキキーのK”
すんげ楽しそうだな!
日頃のうっぷんを晴ら
す!って感じだね。
一生懸命育てた息子
が東京の大学さ行きて
って言うから出してやっ
たのはよかったものの
“ホストクラブのバイト”
にハマってしまって・・・
でも結構稼いでいるら
しいですよ。(皮肉笑)
今はウチのサロンのマ
ンションの東側にそび
え立つ“白亜のマンション”
の場所にNッタのお家がありました。
当時は“老舗の旅館”をやっていまして、ここん家にもよくお世話になりましたね。(居心地良笑)
Nッタと顔を合わせると挨拶のように必ず交わす台詞、「オレだぢ死ぬどごだったよな」(・・?)
旅館ですから食べ物~飲み物はふんだんにあるわけで、その日もNの部屋で“一升瓶”をまん中
にドンと置いて飲っていたのですが、知らないうちに二人とも眠ってしまい、早朝に目が覚めたら
お互いに「なんだオメの顔!ちび黒サンボみてになってらじぇ」と言いあって鏡を見たらススだらけ
になっていたのですよ。(不完全燃焼笑汗)
こりゃあヤバい、一度家に帰って着替えてから学校に行かなきゃと思いまして、玄関脇に置いて
ある自転車の鍵にキーを差し込んだ瞬間に“頭が真っ白”~“筋肉が働かない”状態になって、
バタンと道路に大の字に倒れてしまったのです。(一酸化炭素中毒笑汗)
そして“音”に気づいた旅館の仲居さんたちに両手両足を担がれて、そしてその日一日“布団部
屋”で寝かせて貰いました。旧“葺手町”の通りを歩くといつも思い出してしまいます。(感謝笑)
自分の息子より“ヤン
グな恰好”のY。
「オレはもは“孫三人”
いで上の子は小学生
だぁ」とナンパとは言え
ない台詞で話しかける
と“昔はギャル”が「へ
ぇ~アタシは子供三人
いるわよ」と返してくる。
「SOUL&DISCO」を
楽しみながらこんな会
話が出来るのは、ここ
しか「JODY」しかない
よね!(男女盛盛笑)
私は白髪も目立たない
程度ですしハゲてもいませんが、みんな凄いなぁ~その辺が大きく変わってしまいましたねぇ~
昔は“老舗の布団屋”のFなんかは全日本女子バレーボールの“昔の監督”のようだし、“極道”
になりそこねたMは若いもんにナメられないように“金狼”のように染めているし、Jなんかは光線
があたった時の“照り具合”はそりゃあもう“絶品”に値します。(言放題笑)
今回の同期会の幹事Wはあまり変わっていなかったねえ体型も維持してたし、何はともあれW
が動いてくれたお陰で“プチ”でもこうして集まることが出来ました。色々とお疲れさんでした。
(それにしても、娘が二人とも“東大”とは恐れ入った)
THE SARTORIALIST
New York London
その当時はこんな感じに“気合を入れて”DISCOへ通ったものです。
“キッキキーのK”などは、“全身黒のレザー”で極め、太っとい“安全ピン”をアチコチに刺し、“チェ
ーン”を体中に巻きつけて「キッキキー」と奇声を発しながら“外地”(当時は東北本線を境に街中
より向こう側をそう言った)からフツーの路線バスに乗って“大通り”まで出はって来ていました。
(自分の若い頃に比べたら“ホストクラブ”なんてカワイイほうなんじゃないの!?)
See you again
by itsformen | 2012-02-03 23:55 | もりおかクラシック | Comments(2)